2009年10月10日土曜日

やや長文です。お暇な時に。


今日は朝から術前の検査で病院へ。
採血でたくさん血を取られややフラッと。

しかし今日は今年最後のステージ。
弱ってるわけにはイカン。

YASUKIYOさん×暮部くん×タイラの3マン。
聴いてくれた皆さんありがとうございました!
終始ギターに徹した一日。
久々にラグタイムでギターインスト。手震えるわ(笑)
歌を唄えない事が辛いと今日ほど強く思った事はありませんでしたが。
その気持ちは来年まで持っていようと思います。

YASUKIYOさん&暮部拓哉くんと一枚。














ゲストVoでタイラを助けてくれた「KaRato」さん


















予想通りの魅力ある歌声を響かせてくれて。
お客さんもお店のスタッフの皆さんもタイラスタッフもみんな絶賛っ。
彼女にお願いして本当に良かった。ありがとう。


今日のステージで一旦ライヴ活動を休止します。
第一章を完全に消化する意味で、
音楽始めてからの8年間をザッと振り返ってみよう。

22の時、3歳から続けてきた器械体操を引退して。
まわりのみんなが就職して行く中、「俺、音楽やる」と言った。
しかし右も左もわからずにどーしたもんかと。

そんなんで1年くらいが過ぎた頃、ブルースに出会う。
「これだ」と思い、まず放浪の旅に出た。
ブルースマン=旅というかなり単純な発想なのだが...。
若さ故の体力で野宿の日々を耐え抜き、人生の中で大切な旅になった。
ブルースの技術を体得したわけでもないのだが、少し大人になった。
旅から帰って来てからバカ程ギターを練習した。

少しギターも弾ける様になって都内でライヴを始めた。
特に環境の変化があったわけではないが充実していた。

親には「5年だけやらせてくれ」と嘆願して始めた音楽。
そろそろ5年目を迎えようとしていた。
ちょうどその頃、父親に癌が見つかって。
まだ何も形に残してないなと思い、少し焦った。
どーしようと思って「とりあえずTVに出よう」と。
そしたら親父も頑張ってくれるんじゃないかとまた単純な発想をした。
その年にNHKの番組に出演することが出来た。
親父の手術も無事終わり完治した。いろんな意味でほっとした。

その翌年。事務所とレコード会社がタイラを拾ってくれて。
昨年デビューをさせてもらった。

今年度からはレーベルを移籍してまた新たなスタートを切った。
意気揚々と始まった新たなスタートの矢先に今回の喉の故障。
夢と希望に満ちあふれていた22の時とは少し違う現実もあるのだが。
その現実は幾らでも打破できると今は信じている。
独りでは出来ないかもしれないが、独りじゃないと気付いたので。

会社は変われど。
人としての付き合いは変わらず力を貸してくれるスタッフに絶大な感謝を。
肩書きなど関係なく。
切磋琢磨出来て尊敬できる先輩、同僚、後輩ミュージシャンに絶大な感謝を。
何より。
応援してくれるみんなに絶大な感謝を。


そんな気持ちを胸に。
ホントはもう今日のステージが終わった時点で第二章は始まっているのだな。

まずは手始めに喉を完全に治そうか。
で、リハビリ中の11月、12月には2ヶ月連続で配信リリースだ。
その後また舞台に戻ってきます。
多分2月くらいに。「最愛日和」のリリースと共に。
その時はまたどうぞ笑顔でよろしくです。

では10日後に入院しますので。
ブログでの「踊る大扁桃線2」をお楽しみに(笑)